やりがいは与えられるものではない。

仕事のやりがいとは何だろう。
この問いは、簡単そうでいて、実はとても難しい。
楽しい仕事がやりがいなのか。
好きなことを仕事にできれば、それで満たされるのか。
もちろん、そういう面もある。
けれど、仕事は趣味とは違う。
結果が求められ、責任が伴い、相手がいて、社会とつながっている。
だからこそ、単に「好き」だけでは語り切れない。
私たちが考えるやりがいは、もっと現実の中にある。
それは、必要とされ、任されることだ。
そして、自分たちの仕事によって、誰かの困りごとが解決し、現場が前に進み、建物に命が通ることだ。
電気工事は、完成してもあまり目立たない。
壁の中に隠れ、天井の上を走り、普段は意識されない。
だが、その見えないものがなければ、建物はただの箱でしかない。
照明もつかない。
設備も動かない。
人も働けない。
暮らしも止まる。
私たちの仕事は、見えないものを通して、人の営みを支えている。
そこに、この仕事の深さがある。
やりがいという言葉を聞くと、どうしても「自分がどう感じるか」に意識が向きやすい。
面白いか。
向いているか。
楽しいか。
だが、本当のやりがいは、それだけでは生まれない。
誰かに必要とされる。
期待される。
任された仕事をやり切る。
その結果として、感謝される。
そして認められる。
次も頼みたいと言ってもらえる。
そうした積み重ねの中で、あとから芽生えてくるものこそ、本物のやりがいではないかと思う。
私たちが目指しているのも、そこだ。
ただ言われた通りにつくるだけではない。
ただ配線を引くだけでもない。
ただ図面通りに納めるだけでもない。
この現場にとって本当に必要なものは何か。
この仕事を成し遂げることで、何に貢献できるのか。
どうすれば、もっと安全に、もっと美しく、もっとスムーズに進むのか。
その一歩先まで考える。
相手がまだ言葉にしていない不安まで汲み取り、こちらから提案する。
そこまでやって初めて、工事は「作業」から「価値」になる。
私たちは、単なる施工業者で終わりたくない。
電気を通すだけの会社でも終わりたくない。
人、技術、段取り、図面、空気感まで含めて設計し、現場を前に進める存在でありたい。
そう考えると、やりがいとは、最初からどこかに落ちているものではない。
自分で掴みにいくものだと思う。
目の前の仕事に向き合うこと。
求められたことを誠実にやり切ること。
そのうえで、もう半歩だけ深く考えること。
そうしているうちに、それは誰かの信頼に変わり、必要とされる実感に変わり、やがて自分の中の誇りに変わっていく。
仕事には、楽な日ばかりではない。
しんどい日もある。
思うようにいかない日もある。
それでも、現場が動き、建物に灯りが入り、設備が息を吹き返し、人がその場所で働き、暮らし始める瞬間を見ると、この仕事はただの労働ではないと思える。
社会に機能を与えること。
見えないところで、人の営みを支えること。
そして、自分たちの仕事が、確かに必要とされていると知ること。
それが、私たちの考えるやりがいだ。

やりがいは、与えられるものではない。
任された仕事の中で、自分たちの手で掴み取っていくものだ。
見えない電気で社会に貢献する。
その誇りを、私たちはこれからも追求していきたい。
「私たちは、ただ働く場所ではなく、必要とされる実感と誇りを掴みにいく会社でありたい。」
