両腕を失っても、人生まで失わなかった。

若いころに読んで、今でも忘れられない本があります。 北海道の光生舎の創業者の話です。
ただの美談として読んだわけではありません。 私はそこに、人の強さを見ました。 失ったことの大きさではなく、失ったあとに何を築いたのか。 そこに、言葉では片づけられない凄みがありました。
電気は、人を救うこともできる。 照明を灯し、設備を動かし、医療を支え、暮らしを守る。 けれど同時に、扱い方を誤れば、人の人生を根底から変えてしまう力にもなります。
北海道の光生舎の創業者、髙江常男氏は、小学校時代に右目を失明し、さらに17歳のとき、送電工事に携わる中で3,000ボルトの高圧電線に感電し、両腕を失いました。これは光生舎の公式な創業者紹介でも語られている事実です。
ここで人生が終わったと思っても、おかしくはなかったはずです。 視力を失い、腕まで失う。 普通なら、絶望しても誰も責められない。 けれど、この人は終わらなかった。
つらい療養のあと、必死に勉強し、文学で身を立てようとし、やがて地方紙の新聞記者として働くまでになった。しかも、口にペンをくわえて取材に歩いたとされています。
しかし、本当に胸を打つのはその先です。
髙江氏は、自分一人が生き直すことだけでは終わらなかった。 取材の中で、炭鉱事故などでけがを負い、働きたくても働けない身体障がい者たちの現実に直面します。仕事を探しても、受け入れてくれる会社がない。ならばどうするか。誰かがつくってくれるのを待つのではなく、自分たちで働く場をつくる。そうして1956年に赤平ドライクリーニング工場を立ち上げ、それが後の北海道光生舎へとつながっていきました。光生舎自身も、この歩みを「企業授産」の原点として説明しています。
私は、こういう人の話に強く惹かれます。 不幸を背負った人の話だからではありません。 苦しみを受けた人が、その苦しみを“誰かの居場所”に変えたからです。

失ったことを語り続ける人は多い。 奪われたものを数え続ける人生もある。 けれど髙江常男という人は、そこで止まらなかった。 失った人間にしか見えない景色の先で、働く場を築いた。 しかもそれを、同情ではなく、事業として成立させた。 そこが凄いのです。
光生舎は創業当初から資金繰りに苦しみながらも事業を拡大し、法人側の案内では高度成長期に積極的な営業戦略と設備投資で発展したとされています。また現在も、クリーニングなどの事業を通じて社会福祉に貢献する「企業授産」のパイオニアという立場を掲げています。
ここには、経営の本質がある気がします。 優しさだけでは続かない。 理念だけでも続かない。 本当に誰かを支えるには、現実の中で回る仕組みをつくらなければならない。 働く場を守るには、情熱だけではなく、経営がいる。 きれいごとを現実に変えるには、覚悟がいる。
そして私は、この話を思い出すたびに考えます。 電気というものの重さを。
電気は、便利なものです。 社会を動かし、人を助け、命を支える。 しかし一方で、使い方を誤れば、人を傷つけ、人生を変えてしまう。 だからこそ、電気を扱う仕事は、ただの作業ではない。 技術だけでもない。 そこには責任があり、倫理があり、人に対する想像力がいる。
私たちが扱っているものは、ただの線でも、ただの設備でもありません。 人の暮らしを支える力であり、同時に、扱いを誤れば人を深く傷つける力でもある。 その重さを知ったうえで、それでもなお社会のために使い切る。 その覚悟が、この仕事には必要なのだと思います。

若いころに読んで感動したあの話は、今でも私の中に残っています。 両腕を失っても、人生まで失わなかった人。 むしろその先で、誰かの人生を支える仕事をつくった人。
人は、失ったから終わるのではない。 そこで何を築くかで、人生は決まる。
光生舎の創業者の物語は、今読んでも熱い。 そして私は、こういう話にこそ、本当の力が宿ると思っています。
