仕事を遊びに出来る人は幸福である。
うちは、仕事を遊びにできる会社でありたいと思っている。
こう書くと、少し誤解されるかもしれない。
仕事を遊び半分でやる、という意味ではない。
むしろ逆である。
子どもの頃を思い出してみる。
遊んでいる時、誰かに「もっと真剣に遊びなさい」と言われたことはない。
頼まれてもいないのに考え、勝手に工夫する。
失敗したら、もう一度やる。
もっと面白いやり方を思いつけば、すぐ試す。
気がつけば、時間を忘れている。
私が言う「仕事を遊びにする」とは、 そういうことだ。
仕事には、期限がある。
予算がある。
ルールがある。
結果を求められる。
そして、責任がある。
だから、仕事は遊びではない。
でも、その制約の中で、 どうやるかは考えられる。
もっと良くできないか。
違うやり方はないか。
これとこれを組み合わせたら、 何か新しいものが生まれないだろうか。
考える。
試す。
失敗する。
壊す。
またつくる。
仕事は、少しゲームにも似ている。
簡単すぎれば面白くない。
難しいから考える。
うまくいかなければ、違う方法を試す。
攻略できれば、もっと難しいものに挑戦したくなる。
仕事だから面白いのではない。
自分で面白くするから、面白くなる。
私は、ここが大切だと思っている。
世の中では、働き方改革という言葉をよく聞く。
労働時間を見直す。
休みを増やす。
働く環境を整える。
無駄な仕事を減らす。
どれも必要なことである。
そして、これは会社がやることだ。
働き方改革は、会社主導。
会社が制度を変える。
環境を整える。
道具を用意する。
挑戦できる場所と余白をつくる。
でも、その仕事をどう見るかまでは、 会社には決められない。
やらされていると思うのか。
もっと面白いやり方はないかと考えるのか。
失敗を嫌がるのか。
次の攻略材料にするのか。
そこから先は、自分である。
働く心改革は、個人主導。
会社は、仕事を遊べる場所まではつくれる。
最後に仕事を遊びに変えるのは、自分なのだと思う。
そして、仕事を遊びにするためには、仕事と心を少し分離しておくことも必要だと思っている。
仕事には、本気で向き合う。
結果にもこだわる。
負ければ悔しい。
失敗すれば考える。
でも、仕事で失敗したからといって、 自分という人間が失敗したわけではない。
仕事で負けても、人生まで負けたわけではない。
仕事には本気になる。 でも、心まで仕事に支配させない。
本気で遊ぶからこそ、終わったら心は自分に戻す。
この距離感も大切なのだと思う。
人生という時間で考えてみると、仕事が占める割合はかなり大きい。
一日だけではない。
一年。
十年。
二十年。
三十年。
考えてみれば、途方もない時間である。
だから私は、仕事は我慢するもの。
人生を楽しむのは、仕事が終わってからという考え方には少し違和感がある。
仕事をしている時間も、自分の人生だからだ。
そして私は、少し違う順番で考えている。
プライベートが楽しいから、仕事が楽しくなるのではない。
仕事が楽しいから、プライベートまで楽しくなる。
今日うまくいった。
新しいことを思いついた。
難しいことを一つ攻略した。
明日はこれをやってみようと思えた。
今年中にはこれを達成しよう。
そんな気持ちで仕事を終えれば、 帰ってからの時間まで少し違って見える。
仕事とプライベートは、 別々の人生ではない。
どちらも、 自分の人生である。
だったら、 人生の大きな時間を占める仕事そのものを、 自分の遊び場にしてしまえばいい。
自分で考える。
自分で工夫する。
自分で動く。
失敗する。
また考える。
うまくいけば、 もっとやりたくなる。
うまくいかなければ、 今度はどうやろうかと考える。
誰かに続けろと言われているわけではない。
頑張って続けているわけでもない。
遊んでるから、やめられない。
ひとつできたら、もう次を考えている。
たぶん、夢中になるとはそういうものなのだと思う。
働き方改革は、会社主導。
働く心改革は、個人主導。
仕事を遊び半分でやるのではない。
本気で仕事と遊ぶ。
仕事が面白いから、プライベートも面白くなる。
そしてまた、次の日、仕事で遊ぶ。
人生の多くを占める仕事の時間まで、 楽しむことができたなら。
仕事を義務感でなく、高揚感でやりたい。
私は、仕事を遊びにできた人は、 結構、幸福なのではないかと思っている。
今日も楽しみましょう。

