仮面ライダーの主題歌は、なぜあれほどまでにカッコいいのか・・

仮面ライダーの主題歌は、なぜあれほどまでにカッコいいのか。


子供相手だからといって、手を抜かないどころか、むしろ本気で突き抜けてくるあの感じは何なのか。

ある日の午後わたしは用事で教習所に行った。二輪の女性教官が、黒のレザーのつなぎに純白のヘルメットを脇に抱えて私の前を通り過ぎた。私はその姿にふと仮面ライダーを連想した。
そして同時に、あの世界を子供向けで終わらせなかった作詞家たちは、いったい何を見ていたのだろうと考えた。

教官は、黒のレザーに身を包み、純白のヘルメットを抱えていた。
一本の道を歩くように、ただ真っ直ぐに。
迷いも、揺らぎもなく一点を見つめ、私の前を通り過ぎた。

その姿には、説明のいらない美と完成度があった。

作られたヒーローではない。
だが、確かにヒーローの条件を満たしていた。

子供は、誤魔化しを見抜く。
言葉の軽さ、音の薄さ、感情の嘘。

それらを理屈ではなく、本能で感じ取る。

だからこそ、子供向けであるほど、本気でなければならない。
中途半端なものは、一瞬で見抜かれる。

仮面ライダーの主題歌は、ただのオープニングではない。

あれは「生き方」だ。

誰かに与えられた正義ではなく、
自分で選び取る正義。

群れに従うのではなく、
一人で立つ覚悟。

その思想が、音と言葉に宿っている。

作詞家は、何を見ているのか。

おそらく、彼らは子供を見ていない。
その先にいる、“これから大人になる存在を見ている。

だから甘やかさない。
だから誤魔化さない。
だから、本気でカッコよく作る。

カッコよさとは、見た目ではない。

覚悟の密度だ。

そこには高揚感と躍動感と切なさがある。

どれだけ自分の役割に対して、
逃げずに向き合っているか。

その積み重ねが、音になり、言葉になり、
あの主題歌になるのだろう。

鼓動を走らせる プライド赤く流れDestiny
流されるより 戦う事選んだHistory

こんな切なく熱いフレーズが疾走感のあるビートに乗り極限まで昇華する。

そして気づく。

仮面ライダーは、特別な存在ではない。

あれは理想像だ。

日常の中で、
自分の責任を引き受け、
黙って前に進む人間。

それが、ヒーローの正体だ。

だから、あれほどまでにカッコいい。

子供向けだからではない。
人間の本質を、真正面から描いているからだ。

電気を通す仕事もまた、見えないヒーローの仕事でありたい。

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