履歴書に書かれない人の本質

採用面接をしていると、ときどき履歴書には書かれていないものに目が止まる。
経歴でも、資格でも、経験年数でもない。
その人が、どういう姿勢でそこにいるのか。
先日、ある応募者と三度にわたって話をした。
もともとは、入札や見積、書類作成などを担う「業務推進」という事務職への応募だった。
弊社は、まだ小さな会社である。
大企業のように、何人もの人を余裕を持って採用できるわけではない。
今回の採用枠も、一人だった。
そして業務推進については、似通った業界での経験を持つ別の方を先に採用することが決まった。
本来なら、そこで採用は終わりだった。
けれど、この人をそれだけで不採用にする気には、どうしてもなれなかった。
最初の面接から、何かが気になっていた。
面接には、新しいメモ帳を買って持ってきていた。
そして毎回、自分用のスリッパを持参してくる。
弊社には来客用のスリッパがある。 それでも、自分で使うものは自分で用意してくる。
飲み物を渡したときの何気ない所作にも、相手に対する礼儀があった。
一つひとつを取り上げれば、本当に小さなことである。
けれど、小さなことほど、その人が出る。

面接の中で、将来の夢について聞いた。
返ってきたのは、仕事で何を成し遂げたいとか、どんな肩書を得たいとか、そういう話ではなかった。
母親を大切に思い、 最後は自分が母親を看取りたい。
そんな答えだった。
少し意外だった。
けれど、それまでの振る舞いを見ていると、不思議とその人らしい答えにも思えた。
自分がどうなりたいかだけではなく、 自分にとって誰が大切なのかを知っている。
その言葉が心に残った。

二回目の面接では、パソコン操作の簡単なテストを行った。
本人には、パソコン操作に数年のブランクがあった。
それを気にしていたのだろう。
テストに備えて、事前に自分で練習してきたという。
それも、自分からアピールしたわけではない。
こちらが聞いて、初めて分かった。
できないかもしれないから、何もしない。
ではなかった。
できないかもしれないから、準備する。
その姿勢が印象に残った。

そして三回目の面談。
この時点で、当初募集していた業務推進の採用枠はすでに埋まっていた。
それでも私は、この人には別の可能性があるのではないかと考えていた。
そこで、施工管理という仕事について話をした。
いきなり施工管理を任せるという話ではない。
まずは「施工管理ディレクション」として、書類、見積、図面、現場とのやり取りなど、施工管理を支える仕事から覚えていく。
そこで経験を積み、 いずれ施工管理そのものを目指してみないか。
本人にとっては、まったく知らない世界だった。
当然、不安そうだった。
「自分にできるだろうか」
「できなくて、迷惑を掛けないだろうか」
そんな不安を率直に口にした。
私は、その言葉がむしろ印象に残った。
知らない仕事を前にして、 簡単に「できます」と言わなかったからだ。
施工管理がどのような仕事なのか。 何を覚えていかなければならないのか。 どんな責任があるのか。
できるだけ具体的に話をした。
それでも、不安は残っていたと思う。
私は、すぐに決めなくてもいいと伝えた。
一度持ち帰って、考えてから答えてもいい。
すると、少し考えたあと、返ってきた。
「帰って考えても、やるか、やらないかだけなので、やります」
この言葉が、強く印象に残った。
できるから、やる。
ではなかった。
できるかどうかは、まだ分からない。
不安もある。
それでも、自分で決めて、やる。
三回目の面談で、採用を決めた。
採用枠は一人だった。
それでも、二人目を採ることにした。
正直に言えば、その時点で何の仕事をどこまで任せるのか、細部まですべて決めていたわけではない。
それでも、この人とは一緒に仕事をしてみたいと思った。
小さな会社にとって、一人を採用するということは、決して小さな判断ではない。
給与だけではない。
仕事も必要になる。 教える時間も必要になる。 そして、会社にはその人の人生の一部を預かる責任も生まれる。
だから、本来なら慎重になる。
会社が人を採用するとき、どうしても経験や資格、即戦力という言葉に目が向く。
もちろん、それらは大切である。
今回も実際に、経験を評価して採用した人がいる。
しかし、それだけが採用ではないと思う。
知識は教えることができる。
技術も、時間をかければ身につけることができる。
一方で、
誰かに言われる前に準備すること。
分からないことを、分からないと言えること。
自分の都合だけでなく、相手のことを考えること。
人への礼を忘れないこと。
そして、不安があっても最後は自分で決断すること。
こうしたものを、会社が一から教えるのは難しい。
三度の面談を振り返っていると、 ふと、ある古い言葉が頭に浮かんだ。
「仁・義・礼・智・信」
人を思いやる「仁」。
自分がすべきことを考え、行動する「義」。
相手を敬い、それを振る舞いに表す「礼」。
知らないことを知り、考え、学ぼうとする「智」。
そして、言葉ではなく行動によって積み重ねる「信」。
一つひとつの小さな振る舞いの中に、 私はその五つを見たような気がした。
大陸の古い言葉である。
けれど、人と人が一緒に仕事をする以上、 時代が変わっても大切なものは、それほど変わらないのではないかと思う。
採用とは、会社が人を選ぶことだと思っていた。
けれど、ときどき逆のことが起きる。
その人の振る舞いを見ているうちに、
「この人が働ける場所を、こちらがつくりたい」
と思わされることがある。
業務推進という事務職に応募してきた人が、 施工管理ディレクションという仕事を経て、 将来、施工管理を目指す。
できるかどうかは、まだ誰にも分からない。
本人にも分からない。
私にも分からない。
だからこそ、やってみる価値がある。
人は、履歴書だけでは分からない。
履歴書には書かれないところに、 その人の本質が見えることがある。
そして会社もまた、 人によって変わっていく。
今回の採用を通して、改めてそう思った。
想いが点となり、やがて未来をつないでゆくのだと。

